俺の名馬達-ダイワスカーレット-

ダイワスカーレット

Daiwa Scarlet

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ダイワスカーレット
生年月日 2004年05月13日
調教師 松田国英
馬主 大城敬三
生産者 社台ファーム
産地 千歳市
中央獲得賞金 78,668.5万円
通算成績 12戦8勝 [8-4-0-0]
血統
アグネスタキオン サンデーサイレンス
アグネスフローラ
スカーレットブーケ ノーザンテースト
スカーレットインク

連対率100%の最強女王「ミス・パーフェクト」

 抜群の安定感を誇っていて、引退までの12戦で一度も連対を外すことはなかったダイワスカーレット。生涯出走全戦で連対した日本中央競馬会所属のGI級レース勝ち馬としてはシンザンの19連対に次いで2番目で、牝馬としては歴代最高記録です。さすがダイワスカーレット。

兄姉にオープン馬が多数いる超良血馬。

 デビューは2006年11月19日、京都競馬場での新馬戦(芝2000m)で安藤勝己を鞍上に先行策からほぼ馬なりで快勝しました。安藤勝己は以後全レースで騎乗することになります。なお同日のメインレースのマイルチャンピオンシップでは半兄のダイワメジャーが優勝していて、兄妹同日勝利を挙げ話題になりました。続くGV中京2歳ステークスでは同じく先行策から評判馬アドマイヤオーラの追撃を余裕を残して封じて、デビュー2連勝を飾りました。さすがダイワスカーレット。

 年明け初戦のGVシンザン記念では牡馬相手に強い内容で連勝してきた実績を買われて1番人気に支持されますが、やや掛かり気味にレースを進めた上に終始アドマイヤオーラのマークを受けて、直線では同馬に差されて2着となり初黒星を喫します。次走の桜花賞トライアルのGVチューリップ賞では前年の2歳女王ウオッカと初対戦になります。これ以降、ウオッカとダイワスカーレットはライバルとして、「最強牝馬世代」を支えていくことになります。レースでは、スタート良くハナを切り、直線では真っ向勝負を望むかのようにウオッカを引き付けたが、前に出られると差し返すことはできずにクビ差敗れます。さすがダイワスカーレット。

そして桜の舞台で決戦へ。

 陣営はこの敗戦で瞬発力勝負では分が悪いと判断して、大外18番枠からの発走となった桜花賞では直線で早めに抜け出す積極策でウオッカの追撃を抑えて優勝した。前走の雪辱を果たすとともに兄妹クラシック制覇を成し遂げました。優駿牝馬(オークス)ではウオッカが東京優駿(日本ダービー)に出走するため、不動の本命と目されていましたが、感冒により回避してしまいます。さすがダイワスカーレット。

 復帰後初戦はローズステークスに出走します。オークスでハナ差2着のベッラレイアとの初対決が注目を集めます。レースではスタート直後から徐々に先頭に立つと、そのまま押し切り優勝。10月3日に発表された重賞・オープン特別競走レーティングでは109ポンドの評価を得ました。なお、このレース以降、レース中は青いメンコを装着しています。その後、秋華賞に出走します。このレースは、64年ぶりに牝馬のダービー馬となったウオッカ.html">ウオッカと春以来の対決ということもあり、非常に注目を集めました。距離の面で不安視されていましたが、道中かかり気味に2番手を追走し、先頭を行くヒシアスペンを3コーナーで捕らえると後続の追撃を振り切り、そのまま押し切り完勝。牝馬2冠を達成しました。さすがダイワスカーレット。

 秋華賞後はマイルチャンピオンシップへの出走も視野に入れていましたが、エリザベス女王杯に出走します。レース前日まで1番人気だったウオッカ.html">ウオッカがレース当日に出走を取り消したために、最終的には1番人気に支持されました。レースではスタートから押し出されるような形で先頭に立つと、最後の直線では前年優勝のフサイチパンドラや前々年優勝のスイープトウショウを抑え1着となりました。なお翌週のマイルチャンピオンシップで兄のダイワメジャーが安藤を背に快勝し、兄妹による2週連続のGI制覇となりました。さすがダイワスカーレット。

 次走の有馬記念では、初のGI級牡馬との対戦に加え、初体験となる長距離、関東遠征、さらに鞍上の安藤が中山の芝重賞未勝利であることを不安視する声もありましたが、兄ダイワメジャーを上回る単勝5番人気に支持されます。レースでは道中2番目に付け、直線で抜け出しを図るも、経済コースを通っていたマツリダゴッホに内をすくわれるとこれを交わすことはできず1馬身1/4差の2着に敗れます。スターロツチ以来の3歳牝馬での有馬記念制覇はなりませんでしたが、最後の直線では追いすがる兄ダイワメジャーを突き放し、天皇賞春秋連覇を達成したメイショウサムソンやライバルのウオッカ、同世代牡馬のロックドゥカンブらに先着し、改めて能力の高さを見せつけました。さすがダイワスカーレット。

 この年内GI3勝に加え有馬記念2着、ダービー馬ウオッカにはGIで3回対戦してすべて先着したことが評価され、年度代表馬の座こそ海外戦を含むGI3勝のアドマイヤムーンに譲ったものの、ウオッカを抑えてJRA賞最優秀3歳牝馬およびJRA賞最優秀父内国産馬を受賞しました。また、牝馬の有馬記念連対は1994年のヒシアマゾン以来13年ぶりであり、このレースで2003年のスティルインラブを抜いて、牝馬のJRA年間獲得賞金額歴代1位となりました。さすがダイワスカーレット。

 1月31日にドバイワールドカップ及びドバイデューティフリーの選出馬となり、ドバイへのステップとしてフェブラリーステークスに登録しましたが、調教中に走路から跳ね上がったウッドチップ(木片)が右目に入ってしまい、創傷性角膜炎と診断されました。そのためフェブラリーステークスを回避し、併せてドバイ遠征も白紙となりました。その後、GU大阪杯で復帰し、単勝2.0倍の1番人気に支持され優勝します。次走はヴィクトリアマイルを目標に調整されていましたが、右前脚管骨骨瘤を発症したため、春シーズンを全休しました。さすがダイワスカーレット。

「名勝負と言われるけど、俺からしたら一番酷い競馬、普通の馬なら我慢出来るような競馬じゃなかったし、それを思うとウオッカより相当上だなと感じました」

 その後は秋まで休養し、ステップレースを使わず秋の天皇賞へ出走します。当初は出走が微妙な状態でしたが、「少しでも不安があればエリザベス女王杯の選択肢もありますが、昨年も勝ったレース。限定戦の楽な選択をするより、強い馬が集まるレースで強いことを証明したい」という理由から出走を決断します。GU大阪杯以来の故障休養明けでのGI出走に加え、東京コース未経験であることを不安視する声もあったが、ウオッカに次ぐ2番人気に支持されました。好スタートからハナを奪い、直線に入ると追い込んでくるウオッカと壮絶な1着争いを繰り広げ、2cm差の2着に敗れました。そのときの安藤勝巳のコメントが上記のコメントです。さすがダイワスカーレット。

37年ぶりの快挙へ。

 年末には有馬記念に出走し1番人気に推されました。レースでは外枠13番からの発走の影響もなくスタート良くハナに立ち、最初の900mを53.1秒という淀みないペースで逃げ、最後の直線でも他馬を寄せ付けることなく完勝、人気に応えました。牝馬による有馬記念制覇は、1971年のトウメイ以来、37年ぶりの快挙でした。なお、牝馬の有馬記念制覇は史上4頭目だが1番人気での優勝は初である。さすがダイワスカーレット。

翌年もドバイワールドカップを目標に、前年同様にステップレースとしてフェブラリーステークスに登録していましたが、1週前追い切りを終えた直後の2月12日に脚部不安を発症したために出走を回避しました。翌日には浅屈腱炎であることが判明して、ドバイワールドカップも回避しました。その後大城敬三と吉田照哉の間で協議が行われた結果、2月18日付で競走馬登録を抹消されて、現役を引退しました。さすがダイワスカーレット。

 レーススタイルは、抜群のスタートダッシュからレースの主導権を握ると、中盤でペースを落として力を温存して、そこから上がり3ハロン33秒台〜34秒台前半の息の長く速い末脚を使って押し切るというスタイルで好走を続けました。3歳時はスローペースに落としてから他馬と同じ末脚に持ち込んで押し切る。4歳時はハイペースに持ち込んで他馬のスタミナを削るという2種類のペースで走っていました。2008年の有馬記念では、3コーナーで競りかけてきた人気馬達がことごとく沈んでいき、競馬評論家の井崎脩五郎から絶賛された。そのときのコメントがこちら。あ、さすがダイワスカーレット。

「超一流馬に並みの一流馬が潰された」

 実は牝馬で1番好きな馬です!!

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